緊張で喉がからからになっていた。
初めは負けたくないという気持ちだけだったが、目の前に大きなご褒美がぶらさがれば欲が出てくる。
レーンの先を睨み、ボールを慎重に構える。
朝早いだけあってほとんど人気のないボーリング場。
離れたところにあるカウンターのスタッフも欠伸なんかして暇そうにしている。
「あ、あと2ピンを倒せば、俺の勝ちだな」
第十フレーム二投目。一投目はしくじったが残り7ピン。
慎重に転がせば2ピンぐらい何とかなるだろう。方向さえ誤らなければ、勢いが無くたって1ピンは倒れる。
遠坂はそっぽを向いて憎まれ口を叩いた。
「ぐずぐずしてないで、早く投げなさいよ」
悔しそうだが自業自得。言い出したのは遠坂だ。
というのも……。
「士郎、このゲームのスコアで勝負よ」
「な、何言い出すんだよ。俺が勝てるわけ無いだろ。前に来たときは俺が惨敗したじゃないか」
せっかくの休みだというのに、この我が儘なお嬢様は、俺を朝早くからたたき起こし、ボーリング場に無理矢理引っ張ってきたのだ。
「アンタは勝負に対する真剣さが足りないのよ。負けず嫌いでしぶとい癖に、気合いがたんないから、最初に差を付けられて結局追いつけずに僅差で負けるんでしょ?」
「うぐっ」
言い返せない。確かにそんな負け方ばかりしている。
「だから、士郎の気合いが入るように賭けをしてあげるわ。
負けた方は今日一日、勝者に絶対服従、どんな理不尽な要求も聞くって条件でね。
もちろん勝負を拒否するなら自動的に負け確定よ」
ど、どんな理論だよ、と思うが、ここで反論すると条件はどんどん酷くなるのは過去の経験から実証済みだ。
「し、仕方ない。受けて立ってやる」
もし負けたら、一日買い物あたりに付き合わされて散財は確定だろう。
今月は財政ピンチなんだ。これは負けられない。
気合いを入れる俺に遠坂は不敵な表情を浮かべて、グローブをはめた。
半ば強制的に始まった賭けだが、遠坂の指摘の通り、気合いが違うのか大接戦になった。
そして遠坂が第十フレームで3ピンしか倒せず。その時点で、ピン差は4。
そしてさっき3ピン倒したので、残り2ピン倒せば良いだけになった。ガーターさえ避ければ当たる配置だし。最悪1ピンでもノーゲーム。ほぼ負けが消えたというわけだ。
俺は呼吸を整え投球フォームを開始する。
……て、さっきの遠坂の様子おかしくないか?
そっぽを向いて憎まれ口はいかにも遠坂らしいけど、『あちゃあ賭けなんかして失敗したあ』という顔じゃ無かった。
そう考えると、憎まれ口もなんだかわざとらしかった。
そんな雑念が頭をかすめたせいか、右手の中指が滑り、ボールが手を離れる本来のタイミングよりも遙かに早く、ボールが滑り落ちた。
「うわっ」
「え?」
そのままボールは音を立ててガーターへと吸い込まれた。
思わず呆然と見送る。そしてレーンの奥にボールが消えると、俺は頭を掻いた。
ま、仕方ない。勝負の最中に別のことを考えた自分に責任がある。敗者のペナルティは甘んじて受けよう。
「いやあ、勝てると思って油断があったかな。残念だけど、勝負は俺の負けだ」
「…………そうね」
「ま、今月は財政難だから、買い物だけは手加減してくれよ」
言うことを聞かなければならないけど、満面の笑みで喜んでくれるならいいかと思って、遠さを振り返る。
しかしそこには浮かない顔して黙り込む遠坂がいた。唇を噛みしめ悔しそうに、それこそ『あちゃあ賭けなんかして失敗したあ』という顔で。
「…………」
「遠坂? え、ど、どうしたんだ? そんな顔して。……勝ったのお前だぞ。言っておくけど手加減したわけじゃないからな」
「わ、わかってるわよ!」
「え、じゃあ、どうして?」
俺が首を傾げると、遠坂は信じられないという顔でこっちを見詰めた後、なんだか言いにくそうに呟いた。
「覚えてないの? ……今日、アンタの誕生日でしょ?」
「あ――、忘れてたけど、そうだったな。それがどういう……」
「ここで士郎に負けられたら立つ瀬が無いじゃない!!」
なんだか悔し涙まで浮かべて叫ぶ。
そんな遠坂の表情に、俺の鈍い頭でもようやく遠坂が何をしようとしたのか理解した。
「え、それって……」
「だ、だって、いろいろ考えてたら士郎の欲しいものって何なのか判らなくなっちゃったのよ! 焦るばかりで、誕生日迫ってくるし、それなら直接欲しいモノもやりたいコトも直接言って貰えばいいって、思って……」
真っ赤になって半分八つ当たり気味に逆ギレするが、遠坂も無茶なこと言ってると判っているから、だんだんと声が小さくなって俯いた。

な……
言ってることは無茶苦茶だが、そんな素直じゃないとこが可愛く思えてしまう。
それに俯くその姿は反則なまでの破壊力だった。
思わず声もなく見詰めてしまったが、ようやく思考回路が正常に戻ると、俺はため息をついた。
「ああ、やっぱり遠坂って根はドジなんだな」
「な、なによ。そ、そんなこと自分でも判ってるわよ」
こんな時でも、素直に反駁する遠坂。
俺はなけなしの演技力をかき集め、なるべくさりげなく提案する。
「思うんだけど……そ、その、さ。勝者の権利で、今日一日、敗者は自分の望みを勝者に叶えて貰わなければならないと命じれば良いんじゃないか? だ、だってどんな理不尽な命令でも、敗者は従わなきゃいけないんだろ」
さらっと言えたら格好良かったのだけど、緊張のせいで情けないことに呂律が回ってない。やっぱり慣れないことはするもんじゃない。
「……そうね」
遠坂は俺の言葉に、顔を上げて呆けたように頷いた。
遠坂は照れくさそうに袖で目をごしごし擦った後、腰に手を当て胸を張る。
「確かにその通りね。今日は貴方の望みをわたしに叶えさせるように命令するわ」
悪戯っぽい笑みで言ったあと、遠坂はぷぷっと吹き出す。俺は赤くなって遠坂に文句を言った。
「ど、どうせ、俺にはそんなセリフは似合わない、とか思ってるんだろ!!」
「ご、ごめん。さっきのガチガチの表情思い出したら、つ、つい……」
くすくす笑い続ける遠坂に俺は背を向けた。
遠坂は少しだけ笑いを納めると、背中に頬をあて寄り添った。
そして俺にだけ聞こえるよう悪戯っぽく囁いた。
「でも、わたしのために、似合わなかろうがなんだろうが、そう言ってくれる士郎はちょっと格好良かったわよ」
背中に触れる遠坂のぬくもりがとても愛おしかった。
|